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[370]【雑ネタ】キリ番達成 管理人  (ntkyto052188.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
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今朝、仕事先の駐車場に車を止めたらトリップメーターが画像のとおりとなりました。
何か良いことがあるかな。
 
HOME[2005/05/29(Sun) 20:39]

[374]Re: 【雑ネタ】キリ番達成 たぐちひろき  (cwod37dc4e0.bai.ne.jp)  
  No.374  
そういえば「3.3.Sunフリーきっぷ」って買った事無いなぁ。

確かに5000円はお買い得ですが、「名古屋、三重、岐阜、京都、
大阪、奈良、和歌山の各府県の鉄道を3日で乗り回せ」というのも
今では体力的に辛いものが・・・。
 
[2005/06/01(Wed) 01:48]

[375]Re: 【雑ネタ】キリ番達成 管理人  (ntkyto049156.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 
日にちが合えば2〜3人で共同買いして、たとえばAさんはa日に乗り倒す。
Bさんはb〜c日の二日間乗り倒す・・・といったような使い方も出来ますね。
近鉄だけですと週末3日間乗り放題のきっぷがありますが、前売りのみで、ふと思い立って乗りたくなった、乗れる時間ができたなどの場合は役立たずです。
 
HOME[2005/06/01(Wed) 12:05]

 
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[371]【奈良】鹿 管理人  (ntkyto047153.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
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昨日は知人とともにあてのない半日日帰り旅。
若草山近辺の鹿さんはこの日も元気でした。雄鹿は角が伸び出していました。
この後は三重県、滋賀県と走って京都に帰着。
 
HOME[2005/05/31(Tue) 15:03]



[368]【京都】志明院 管理人  (ntkyto050177.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
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仕事の合間に、京都市北区雲ケ畑にある岩間山志明院へ出かけてきました。
ここに来るのはほぼ20年ぶりです。
その昔は物の怪が毎夜現れたといいますが、電気が通じるようになってからは霊的なものがぷっつりと出なくなったとか。
それでも鈍感なわしでもなにやら霊気(実際は冷気?)らしきものを感じる修行の道場です。
検索していたら2ちゃんねるの過去ログに妖怪の記事があったので、関連するところを編集して再掲してみます。

82 名前: 73  投稿日: 2001/06/27(水) 22:46
『雲ケ畑という妖怪部落』
(前段省略)
洛北は、王朝人にとっては、鬼のすむ所であった。
鬼をおさえるために、叡山、鞍馬山の二大宗教都市ができた。
北、というのは暗い。しかも洛北は、山が重畳としている。山をこえ、谷をわたったむこうには鬼や物の怪(もののけ)がすむのだろうという幻想は、王朝人のたれしもがもったおそれだった。だから、王朝人の末裔であるいまの京都人にもそれがうけつがれ、洛北の八瀬、修学院、貴船、鞍馬山麓、一乗寺などはあれほど風景のいい所でありながら、いまだに地価がやすく、住宅地として発展しない。
洛北山麓のモノノケというのは、王朝時代は、京のチマタや御所、公卿の屋敷、青侍の殿居の部屋、女官のお局や僧院の林泉のかげなどにさかんに出没し、王朝文学は、モノノケの文学であるとさえ、いえるほどに、かれらは跳梁した。
しかし、時がたち、人が強くなり、夜の灯火がふえるにしたがって、モノノケの数もしだいに減ってきて、こんにちのように電灯が京の闇を吹きはらっているような時節になると、とんとかれらはあらわれなくなった。
かれらは、時代が移るとともに京の周辺の山々に逃げた。愛宕山でモノノケの存在が騒がれたことは鎌倉の末期であり、貴船でモノノケ話がさかんに出たのは、室町の末期である。かれらは転々として居所をかえ、住みづらくなれば集団で他へ移った。しかしかれらは、ほろびたのではない。世に遠慮し人を怖れてはいるが、わずかながらも寄り添って生きのびている場所がある。
そこが、洛北雲ケ畑である。
あほかいな、という人があれば、まず行ってみることだ。モノノケのはなしなど、いくら聞かされても、それを自分の目や耳でたしかめないかぎり、ほんとうにはしないはずだからである。
行く方法は、京都の市街地の北のはしに「植物園前」というバスの停留所がある。
そこから雲ケ畑行のバスが、日に二回出ている。夕方の便が、午後四時だったと思うがたしかでない。
とにかく夕方の便に乗って、約四十分、行程は三里、北へのぼる。途中、渓谷の上の道ばかりで、ふと、たったいままで京都の市中にいたことをわすれてしまう。
雲ケ畑は、キコリの村で、山の中腹にありバスをおりてから山道を四十分ばかり歩かねばならない。
突如、あなたは、森に入りこんでしまうだろう。その森の中に、鎌倉の武家屋敷をおもわせる建物をみつけるはずだ。そこが真言宗仁和寺派の末寺志明院である。
志明院は、はるかな古代に噴火した死火山の噴火口の中にある。周囲の山壁にはシャクナゲが密生し、その季節になればむせるような匂いがする。
奈良朝よりすこし前に役ノ行者という人物があらわれて、日本に修験道という山岳宗教をひらいた。いまの山伏の元祖である。
役ノ行者はいまの奈良県の出身者だから、修験者たちの古い行場は関西に多く、最高を大和大峰山としている。私は十年ほど前に、志明院でひとりの老行者に会ったが、かれは諸国の行場のなかでここがいちばんおそろしい、と語っていた。「つまり、ここの山中で行をしていると、妙なことがいっぱいあるのです。だから、なまはんかな行者は、ここへは来たがらないのです」
むかし、京のチマタで出没していたモノノケどもが、ついにこの山中で、ひっそりと寄りそって余生を送っているという感じだった。
私が最初に志明院をたずねたのは、昭和二十三年の夏で、若い写真記者と同行した。
住職は田中良玄という初老のひとで、東京から特命住職として赴任してきたばかりのひとだった。家族はまだ、到着しておらず、住職ひとりが広い寺域で住んでいた。
「ここのモノノケは、室町時代の寺伝の古文書にもかかれていて、ずいぶん古い連中なんですよ。いや、べつにこわくはありませんが、やかましくてねむれない夜があります」
われわれは、本坊の上のガケに鳥の巣のようにかけてある茶室にとめてもらった。茶室と本坊とは、急勾配の回廊で連結されており茶室のぬれ縁から見下すと、本坊の銅ガワラブキの屋根が、近々とみえた。
なるほど、やかましかった。床に入ったのは午後十一時すぎだったが、不意に、三方の紙障子が、ガタガタと鳴りだしたのだ。あわてて障子をあけ、ぬれ縁へ出てみたが、たれもいない。
中へ入ると、また鳴るのである。やりきれなくなって障子をあけっぱなしにしておくと、こんどは茶室の屋根へのぼったらしい。七、八貫の小児がシコをふむような音をたてはじめたのである。
「これはねむれん」
われわれは、とうとう、ぬれ縁へ腰を下ろしていると、下の本坊の窓から住職が顔をのぞかせて、
「お気の毒ですな。しかしこれは仕様がないんですよ」
そのうち茶室の屋根に居た「物音」が、スーッと滑空するような感じで本坊の銅ガワラブキの屋根にうつり、ドスン、ドスンと踊るような音をたてはじめた。
十四日の月明だから、あたりはよくみえるし、本坊の屋根になにもいないことは、ひとめでわかる。そのくせ、物音だけが踊っているのである。
このほか、この山で「竜火」とよばれている発光体があり、夜、行場への山道をゆくと眼のさき一尺ばかりの空間に、一円アルミ貨ほどの大きさの蛍光色のものが浮かぶ。うかんで、ゆらゆらと動いている。三丁もゆくあいだに、それをいくつかみた。
田中良玄さんの話では、「天狗の雅楽」というものもあるそうだ。私はここ十五年のあいだに数度避暑がてらにこの山に行ったが、いちどもきかなかった。
週に一度ほど、夜の十二時前になると、山上の百年松のあたりから雅楽風のものがきこえてくるそうで、ふもとの雲ケ畑の人達は、子供のころから聞きなじんでいるという。まあ、そんなところだ。妖怪のすきなひとは、いちど探勝にでかけるがよい。寺は、いつでも泊めてくれる。
(以上)
出典:『旅』昭和36年10月号(日本交通公社)

修行の場であるがゆえ、写真撮影は山門の前までのみ。拝観料は300円。

 
HOME[2005/05/27(Fri) 23:15]

[369]Re: 【京都】志明院 YO-1  (ntkyto049211.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 
15年程昔、昼の三時頃に車で寺の前まで行った事がありますがすでに暗い雰囲気がしてましたので入らずに引き返したことがあります。なんだか出て来れないような感じがしたのを覚えてます。行くなら午前中から行くべきところです。
 
[2005/05/28(Sat) 00:36]



[352] YO-1  (ntkyto028142.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
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飛行機のつばさのすぐ近くの席でしたのでいちびって翼を撮ってみました。高度を上げたりさげたりするとき翼の一部をのばしたり縮めたり、モーター音がよく聞こえました。
 
[2005/05/23(Mon) 09:08]

[353]Re: 翼 管理人  (ntkyto026186.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
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YO-1さん、ご投稿ありがとうございます。
飛行機の翼といえば、国産旅客機YS-11のエンジン部分がなかなかいい味を出しています。
画像は昔、長崎県対馬へ行った時に乗ったANK(当時)のYS-11のエンジン部と全体像です。こうしてみるとかなりコンパクトな機体であるのが分かります。
 
HOME[2005/05/23(Mon) 11:26]

[359]Re: 翼 たぐちひろき  (cwod37dc4ef.bai.ne.jp)  
  No.359  
ウィーンと鳴ってせり出してくる翼の一部はフラップという
そうですね。

かつての日本海軍の重戦闘機「紫電改」は自動的に動く空戦
フラップを開発し、零戦で苦戦していたグラマン米軍戦闘機
を数多く叩き落したそうです。
 
[2005/05/24(Tue) 01:18]

[360]Re: 翼 管理人  (ntkyto017088.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 
自動車ですと、空気の流れに従ってリアスポイラーが自動的に形を変える仕組みが実験的に開発されたことがあります。たまたまその動きを見る機会がありましたが、なにやらなめくじが動くような不思議な感じです。
恐らくコストがかかるのと、最高速度が100km/hという日本の道路事情では必要性が乏しいためか実用化には至っていないようです。
 
HOME[2005/05/24(Tue) 08:19]

[365]クルマのエアロパーツ たぐちひろき  (baidcd0210f.bai.ne.jp)  
  No.365  
>>360 管理人さま。
確かポルシェでしたっけ<自動的に動くリアウィング
日本でも昔のスカイラインが動くフロントスポイラーなるものを
採用しましたが、結局後が続かなかったのでした。

クルマのエアロパーツは実際は200km/h程度の速度でないと効果は
ないらしいです。因みに私のクルマはラジオを付けると自動的に
アンテナが出てきます(それがどうした(w )
 
[2005/05/26(Thu) 02:10]

[367]Re: 翼 管理人  (ntkyto017080.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 
> 自動的にアンテナが出てきます

マジレスするのもなんですが、うちの車はネジで留めてあるだけです。ワルガキが盗んで刀や矢の代わりにして遊ぶケースもあるとか。ま、とても感度が悪いのであってもなくても大して変わりはありませんけど。
 
HOME[2005/05/26(Thu) 07:41]



[350]【島旅】石原都知事が沖ノ鳥島へ 管理人  (ntkyto012125.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

産経新聞オンライン版発共同通信の記事から抄録。

石原知事が沖ノ鳥島視察 自ら潜水、海中調査も

東京都の石原慎太郎知事が20日、日本最南端の沖ノ鳥島(東京都小笠原村)を視察した。周辺が日本の排他的経済水域であることを強調するため、島の管理状況や活用法を調べるのが目的。都知事の沖ノ鳥島視察は初めて。
石原知事はチャーターした客船からボートに乗り移り、環礁内にある東小島に上陸。「日の丸」を掲げ、笑顔を見せた。その後、漁業振興に向け、ボートからシマアジの稚魚を放流。自らシュノーケルを着けて潜水し、海中の様子を調査した。
都は漁礁や海洋温度差を利用した発電所を設置する方針で、大学教授らも同行した。小笠原島漁協は、都の支援を受けて4月から周辺で漁業活動を開始。この日放流されたシマアジの稚魚は約10万匹に上った。
視察団は、都職員を中心に国土交通省職員、報道関係者ら100人余。欧米メディアも同行した。(共同)

(05/20 18:29)

感想:東京都が「小笠原観光公社」のようなものを作って、ダイヴィングや釣りの洋上キャンプ施設でも経営すればいかがですか。近海に浮かべた空母(のようなものでよい)を基地とする水上飛行機を使った観光もその気になればやれるのではござらぬか。

 
HOME[2005/05/21(Sat) 12:14]

[366]Re: 【島旅】石原都知事が沖ノ鳥島へ 管理人  (ntkyto017080.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

朝日新聞オンライン版から抄録。

沖ノ鳥島にチタン製の看板 国交省が「領土」アピールへ

「日本国の最南端の島」と記された看板が6月、沖ノ鳥島に設置されることになった。排他的経済水域にからんで島か岩かで中国と対立する中、日本の領土であることを訴えようと国土交通省が約200万円かけて看板を作った。縦1メートル、横1.5メートルで潮風にもさびないチタン製。「東京都小笠原村沖ノ鳥島1番地」という住所も記した。

島の維持管理を担当する国交省京浜河川事務所の職員が来月2日から船で現地に向かい、波の高さや津波を観測するレーダーを設置するのに合わせて取り付ける。

沖ノ鳥島は浸食で消失が心配されている。領土問題への関心の高まりからか、研究者や政治家ら島への上陸者は最近増えつつあるといい、国交省の担当者は「看板は島の異状に気づいた上陸者に通報を呼びかける狙いもある」と話している。

感想:こうした税金の使い方なら歓迎です。200万でも2000万でもかけて下さい。

参考リンク----こんなの見つけました。
沖ノ鳥的FANクラブ
沖ノ鳥島写真館

 
HOME[2005/05/26(Thu) 07:38]



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