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[334]【岡山】KUROが運行を開始 うえの  (ntkyto051106.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

【朝日新聞岡山】に載っていた記事から。

懐かしさ乗せKURO出発/岡山電気軌道

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岡山電気軌道が所有する中で最も古い53年製の路面電車が11月9日、約1年半の全面改装を経て、運行を始めた。レトロな黒の外装に、温かみのある木製の座席が特徴で、東山〜岡山駅前間の片道約3キロを1日5往復する。

愛称は「KURO(くろ)」。総工費約1500万円をかけ、外装を「烏(からす)のぬれ羽色」と呼ばれるツヤのある黒、座席もソファタイプから木製の座席に替えるなどした。

この日は、東山2丁目の車庫で出発式をした後、招待された幼稚園児ら計約60人を乗せ運行を開始した。乗車した市内の主婦(35)は「とても懐かしい感じで、何だかほっとしました。新しい岡山名物になればいいですね」と話した。

 
HOME[2004/12/04(Sat) 17:46]

 
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[333]【岩手】山田線70周年 うえの  (ntkyto051106.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

【読売新聞盛岡支局】に載っていた記事。

山田線・盛岡―宮古間 開通70周年記念の出発式

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盛岡と沿岸地方を結ぶ東日本旅客鉄道山田線の盛岡―宮古駅間が開通70周年を迎え、盛岡駅で11月6日、記念の出発式が行われた。本県出身で平民宰相とうたわれた原敬が敷設を説いたのが山田線の始まり。1934年、まず盛岡―宮古間が開通し、その後、39年になって釜石までの全線が開通した。この日は午前10時48分発の快速リアス号を記念列車に仕立て、約20人が乗車した。それぞれ乗車証明書がプレゼントされ、70周年を祝う紅白もちもふるまわれた。

福岡県甘木市から来たという江崎正一さん(59)は「一度は乗りたいと思っていた路線。こんなおめでたい日に乗れて鉄道ファンとして幸せです」と喜んでいた。

運転士を務めた蒲沢広さん(56)は山田線を走って28年目。「この線は高低差が大きくカーブも多いので、県内で一番運転が難しい路線と言われています。お客様が紅葉に見とれるこの時期は、枯れ葉に注意して運転をしています」と話していた。

 
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[332]【岐阜】神岡鉄道が今年末に貨物休止 うえの  (ntkyto051106.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

少々古いニュース。アップし忘れていたもの。
【毎日新聞岐阜】の記事から。

神岡鉄道、今年末に貨物休止--旅客運営に影響必至 /岐阜

飛騨市神岡町の奥飛騨温泉口と猪谷(富山県)を結ぶ第三セクター「神岡鉄道」は、鉄道部門の収益の大部分を占めてきた貨物輸送を12月31日で休止する。神岡鉱業が製品輸送をトラック輸送に切り替えたため、休止を余儀なくされた。同鉄道は年間3万7000人の利用客があるが、大幅な赤字が見込まれ、鉄道の運営自体に大きな影響を与えることは必至だ。

同社によると、03年度の鉄道部門の売り上げは約1億円。うち70〜80%を神岡鉱業が出荷する硫酸などの製品輸送が占めていた。しかし、神岡鉱業はタンクの老朽化などからこれらの輸送を10月中旬までに完全にトラック輸送に切り替え、再開の見通しがなく、中部運輸局に事業基本計画などの変更を申請した。現在は空の硫酸タンクを週1便だけ輸送している。

神岡鉄道は旧国鉄の神岡線を引き継ぎ84年10月に開業。神岡鉱業の親会社の三井金属鉱業、岐阜県、飛騨市、富山県などが出資している。同社は鉄道部門のほか、旅行の企画、自動車整備部門がある。鉄道部門の利用客のうち、定期券利用者は2〜3人という。【奈良正臣】

毎日新聞 2004年11月9日

 
HOME[2004/12/04(Sat) 17:31]



[331]【岐阜】名鉄に路面電車廃止を許可 うえの  (ntkyto051106.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 
【毎日新聞岐阜】の記事から。

名鉄の3線廃止 どうする地域の足 代替策ないまま…批判とあきらめ交錯 /岐阜

◇名鉄・3路面電車廃止許可

県内を走る名鉄の路面電車3路線について、国土交通省中部運輸局が8日、名鉄側の申請通り、廃止を許可した。路面電車撤退に向けた手続き通りの流れとはいえ、現行路線を利用した電車存続に向けて活動していた市民グループからは「住民側に何の説明もなく一方的」と批判が上がった。一方、路面電車利用者からは「仕方ない」とあきらめの声も聞かれた。【式守克史、秋山信一】

今回廃止許可になった3路線を含む路面電車4路線をめぐっては、岐阜市が7月に存続断念を正式表明した後も、県内の市民グループ3団体が共同で存続運動を展開。県内の政財界に出資を働きかけたり、現在15〜60分間隔の4路線の運行を全線10分間隔に統一したりするなどの試案を発表していた。また、フランスの大手交通会社「コネックス」が路面電車を含めた県内の総合交通事業への参入を計画している。

こうした状況の中で、同運輸局が発表した今回の路線廃止の許可について、市民グループ「岐阜未来研究団」の堀達哉代表は「存続運動をしている我々住民側に何の働きかけもないまま、国が廃止を許可したのは理解に苦しむ」「(05年3月31日の)廃止後に混乱が予想される中で、それに対するケアがないままそういう答えを出していいのか」と批判した。

一方、通勤で路面電車を毎日利用しているという名古屋市瑞穂区の会社員、加納敏子さん(72)は「名鉄の撤退は分かっていたことで仕方がない」と冷静に受け止めていた。岐阜市内の会社員の男性(36)も名鉄の撤退を前提にしたうえで「通勤、通学で利用する人が多いので、行政は代替の交通機関を整備してほしい」と話した。

名鉄側は3月、国交省中部運輸局に対し、路面電車4路線の廃止届出を申請。許可の不要な鉄道路線の揖斐線は届出時点で廃止が確定していた。

毎日新聞 2004年11月9日

 
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[326]【列車】さくら・あさかぜが来春消滅 うえの  (ntkyto051106.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

毎日新聞ウェブサイトの記事(11/27付け)から

ブルートレイン:
「あさかぜ」「さくら」来春引退

戦後の復興期から高度経済成長期に一世を風靡(ふうび)した日本で初めての寝台特急「あさかぜ」と2番目に古い「さくら」が来年3月のダイヤ改正で姿を消す。共同運行しているJR旅客4社(東日本、東海、西日本、九州)が「廃止」で合意した。東海道沿線の主要都市から山陽・九州方面に旅情を運び続けた名物列車は乗客減と急速に進む高速化のはざまで半世紀近い歴史にピリオドを打つ。

JR各社によると、東海道・山陽新幹線のスピードアップや航空各社の国内線増便で、寝台特急の利用者は激減。国土交通省の調査で、首都圏から九州方面は90%が航空機利用で、03年度の寝台特急利用者は87年のJR発足当初と比べて4分の1以下に落ち込んだ。

JRはグループ挙げて寝台特急による企画旅行やPR作戦を展開し、テコ入れしてきたが低落傾向に歯止めがかからず、整理統合が検討されてきた。今回の統廃合で、東京圏から九州方面は2本、山陽・山陰が3本、関西圏から九州方面は3本となる。

「あさかぜ」は国鉄時代の1958年10月の運転開始以来46年間、東京-下関間をひた走った。寝台特急の代名詞となった「ブルートレイン」は「あさかぜ」の「青い車体の列車」から採られたもので、寝台特急の元祖。個室シャワーやラウンジを備え、食堂車を併結していた時期もあり、「走るホテル」として人気を集めた。

国の花をヘッドマークにした「さくら」は59年7月に東京-長崎間でデビュー。乗客減を理由に99年12月から、3番目に古い「はやぶさ」(東京-熊本間)と連結して運行された。その「はやぶさ」も来年春からは「富士」(東京-大分間)と連結される。

=◇=

来年3月のダイヤ改正で、JR4社が運行する東京・関西圏から山陽・山陰、九州方面への寝台特急は次の8本になる。

東京-九州方面=はやぶさ(熊本行き)▽富士(大分行き)

東京-山陽・山陰方面=サンライズゆめ(広島行き)▽サンライズ出雲(出雲市行き)▽出雲(同)

関西-九州方面=彗星(京都-南宮崎)▽あかつき(京都-長崎)▽なは(新大阪-熊本)

毎日新聞 2004年11月27日 15時00分

 
HOME[2004/11/27(Sat) 19:44]

[330]Re: 【列車】さくら・あさかぜが来春消滅 うえの  (ntkyto051106.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp)  
 

【朝日新聞(11/28付け)】

元祖ブルトレ「あさかぜ」、2月末で引退 「さくら」も

JR東日本、東海、西日本の各社は、ブルートレインのさきがけになった寝台特急「あさかぜ」(東京―下関)を来年3月1日のダイヤ改定で廃止する方針を決めた。「あさかぜ」は日本で初めて全室冷暖房完備の個室寝台を連結するなど、かつては「走るホテル」と呼ばれたが、新幹線や飛行機に押され乗客は減少。ここ数年の平均乗車率は約30%と低迷していた。東京と長崎を結ぶ「さくら」も廃止される方針で、東京駅発のブルートレインは風前のともしびになる。

JR東日本によると、「あさかぜ」の昨年度の平均乗車率は29%。夏休みのピーク時も33%にとどまり、東京発のブルートレインでは最も乗車率が悪い。JR発足時から乗客は減り続けており、「のぞみ」が登場した92年以降、乗客減に拍車がかかったうえ、最近は格安な高速バスに押され、乗客は対前年度比で約20%も落ち込んでいる。

また、上り列車が首都圏に乗り入れるのが朝のラッシュ時に重なり、遅れたまま首都圏に来ると通勤電車の過密ダイヤに影響することもあり、廃止が検討されていた。

「あさかぜ」は56年に東京と九州を結ぶ戦後初の特急として東京―博多間に登場。57年から58年にかけて発表された松本清張の代表作「点と線」では、物語の重要な役回りを果たした。

58年に新型の客車が導入され、冷暖房完備の個室寝台が登場。食堂車も備え、「走るホテル」と呼ばれた。丸みをおびた青色の車体にクリーム色の線が入った斬新な客車は「ブルートレイン」と親しまれ、その後の寝台特急の代名詞になった。

東京と九州、山陽地方を結ぶ寝台特急は現在4列車あるが、平均乗車率は軒並み30〜40%程度。来春のダイヤ改定で、JR九州を含む各社は東京発長崎行き寝台特急「さくら」も廃止し、残る「富士」(東京―大分)と「はやぶさ」(東京―熊本)も途中の門司駅まで連結させて走らせる方針。東京発九州行きのブルートレインは2列車のみになる。 (11/28 11:02)

 
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