こんばんは。 ダンナは被爆2世です。 お父さんが広島で被爆しました。 爆心地から800mでした。 志願兵で行っており、兵舎で朝食をとっていたそうでした。 幸い?下っ端なので、1階が部屋に当てられていまして、上官は2階でした。 ですので、2階がつぶれて屋根の下敷きになったのは上官でお父さんたちはかろうじて逃げることができてようでした。
すぐに山へ逃げようと仲間と 加計(かけ)と言う方まで逃げていきました。 瀬戸内の海は干満の差が激しく、干いているときはなんとか歩いてでも川を渡ることができます、そのときは干潮だったので、橋の落ちた川を歩いて行けたそうです。 すぐに潮が満ちてきて、逃げる人たちの進退を決定づけてしまい、幾重のも人が重なり合って、そこで息絶えたようでした。 戦争の悲惨さもさることながら、人間に及ぼされる被害は未知数です。 そこ怖さが父の話からもうかがうことはできます。
しかし、被爆手帳を持っているだけで差別が生じることも忘れてはいけないことです。
父もいつか、広島原爆記念日でテレビから流れるあの映像を見ていてわかるように、亡くなったら名簿に書き加えられてあの中に名簿は眠るのです。 いつか必ずその日は来るのです、遅かれ早かれ・・・・。
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